事業者ネットワークの必要性

社会福祉制度は転換点を迎えている

 平成18年度の改正介護保険法の施行及び障害者自立支援法施行では、介護予防や障害者の受益者負担の名目で自己決定権を剥奪し、事実上措置制度への逆行が行われました。しかしながら、介護事業者の間では、制度上の逆行がどれだけ危機的なものか余り議論されていないのが現状です。
 わが国の社会福祉制度は、もっぱら欧米で発達した制度を国民の意識の変化に応じて取り入れたものです。制度の初期には、救貧制度(貧困状態にある者の経済的救済)を主な目的としていましたが、障害者や高齢者などの人権に対する考え方の変化とともに、同じ社会に暮らす者の当然の基本的権利としての社会福祉制度が社会的に認知されるようになってきました。
 わが国では、憲法25条「すべての国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利」を拠り所として、社会福祉の増進を目標として諸制度が整備されてきました。この中で、介護や支援を必要とする障害者や高齢者が、「自己選択」し「自己決定」することが「自立」を目的とする社会福祉制度の基本理念として定着してきました。その陰には、差別され、社会から隔離され、施設で生活せざるを得なかった数多くの障害者の苦しみ、悲しみがありましたし、また、障害者やその家族などによる人間性回復のための様々な活動がありました。
 今回の制度改正では、こうして勝ち取ってきた自己選択、自己決定の権利を事実上剥奪してしまいました。より充実した社会福祉制度を模索してきたわが国において、平成18年は「措置への逆行の始まった年」、「方向転換の起こった年」として歴史に刻まれることになったわけです。
 この流れを放置してよいのかどうか、私たちに問われています。


介護サービス事業者の連携の必要性

 介護保険法が施行されて以来、国は介護事業への民間事業者参入を奨励してきました。その結果、訪問介護や居宅介護支援サービスには地域に根ざした小規模事業所が多数設立されました。しかしながら、これらの小規模事業所は経営基盤が弱く、また、事業所間の連携が進まないため、その後の制度改正に翻弄されることとなりました。平成15年度と18年度の改正では、事業の存立を左右する報酬が引き下げられるなどの影響を強く受けて、継続が困難になっている事業所も多く存在します。
 制度改正は、その運用を厳しくすることで優良事業所以外を排除することを一つの目的としているともいわれていますが、実際には地域で良いサービスを提供している小規模事業所から排除されるおそれがあります。優良な事業所を残し、問題のある事業所を排除することは必要ではありますが、手法を間違えると優良な事業所を排除し、経営基盤が強いだけで問題のある事業所を残すことになってしまいます。
 それでは「良い事業所とは何か?」以下で考えてみたいと思います。


良い介護サービス事業所とは何か

 「良い」かどうかは、利用者である高齢者や障害者が、できるだけ長く「住み慣れた場所で自分らしい生活を送る」自立支援が可能かどうかにかかっています。その目的を達成する上で、介護サービスに必要な条件を挙げてみましょう。

@利用者の立場に立って考える力
 利用者のための介護サービスや支援を考えるとき、利用者に何が必要か制度や利益から離れて考えることが必要です。既存の制度の枠内で考えるのではなく、その人にとってほんとうに必要なサービスや支援を考えた上、制度や社会資源をどう活かすかを考えるべきです。制度先にありきではない。そのことを銘記する必要があります。

A経営者がサービスの質を把握できること

 利用者の身体的状況、経済状況、生活環境などによってサービスの内容は異なります。利用者にとってほんとうに必要なサービスが的確に提供されているかどうか、経営者自身が直接知りうる規模の組織がこの事業には相応しいと考えます。規模が大きくなると、物理的にサービスの質を経営者が把握できなくなります。結果として、サービスの質確保が困難になります。

B事業所の規模が適正であること
 大きな組織は経営者を頂点とするピラミッド構造が必要となり、ある種の搾取構造が発生します。介護保険等の報酬は極めて低く、ピラミッド構造が大きくなると、末端の賃金を低く抑える必要が出てきます。その結果、サービスに直接関わる労働者の士気が低下します。
 介護サービスの種類によって異なりますが、質の高いサービスを提供するには、適正な事業規模があります。

C地域の人材を活用すること
 介護サービスにおいては、利用者の変化に応じて迅速に対処することが必要になります。事業所の責任者やサービス担当者が、利用者から離れていると迅速なサービスは困難です。
 また、訪問介護や居宅介護支援では、低い報酬を有効に利用する点でも交通費への支出を最小限にする必要があります。

D地域のネットワークを利用できること
 介護サービスには、介護保険法や障害者自立支援法で報酬の定められた公的サービス(フォーマルサービス)のほかに地域独自のさまざまな非公式サービス(インフォーマルサービス)があります。適切な介護サービスを提供するためには、これらのサービスを熟知するとともに、日頃から協力関係(ネットワーク)を結び、互いに顔の見える関係を作る必要があります。

Eチームワークを大切にすること
 介護サービスにはチームワークが必要ですが、チームワークには事業所内と事業所の枠を超えた二通りのチームワークがあります。
 事業所内のチームワークを形成するためには、「役割分担」に対する意識を徹底することが必要です。それぞれのポジションは役割の違いにすぎず、上下関係ではありません。職員が対等の立場で発言できる環境がないと「より良いサービス」のための議論はできません。互いの職域を尊重し、協力し、自由な議論をする中からチームワークが形成されます。
 事業所間のチームワークにおいても対等な立場で発言できることが必要です。医療機関、地域包括支援センター、行政、他の介護事業所などと日頃から連携を取る中でチームワークの意識が培われます。

F負担を分け合うこと
 介護では、経済的負担、肉体的負担及び精神的負担が家族などの介護者にかかります。介護保険制度や障害者自立支援法の目的の一つが介護者の負担軽減ですが、介護を仕事にしている者にも肉体的、精神的負担がかかります。とくにサービス提供責任者やケアマネージャーにかかる負担はたいへん大きいものがあります。事業所内では、特定の職員へ負担が集中しないよう日頃からチームプレーで負担を分け合うシステムを作る必要があります。

Gスタッフを大切にする
 労働者にとって最も重要なのは賃金です。現在の介護保険制度や障害者自立支援法で定められた介護報酬はたいへん低く、これを主たる収入源にしている介護事業所の賃金は、他事業の労働者に比べ理不尽なほど低いのが現状です。このような環境においては、経営者や役員などの賃金をできる限り低く押さえ、その上で介護職員の賃金配分をできる限り高くする経営方針が必要です。介護保険等からの報酬の還元率をできるだけ高くすることが、経営者に求められています。
 しかしながら、時給などの「見かけの賃金」が高いのが良い事業所とはいえません。介護の仕事には高いリスクがあり、たとえば困難事例を引き受けた介護職員のサポートや複数回の同行研修を行って介護事故の発生を防ぐことが必要です。介護職員が自信と誇りをもって質の高い介護サービスを提供できる環境を作る努力が同時に行われなくてはなりません。非常勤職員の有給休暇支給、社会保険や損害賠償保険などの導入も重要です。常勤職員の充実などの人件費を考慮すれば見かけ上の賃金はある程度抑えられてしまいます。
 換言すれば、質の高いサービスを提供することは、個々の介護職が負うリスクを軽減するシステムをもつことでもあります。


事業者間の連携の目的

 前述のように地域の人材を活用した良質の介護サービスを提供できるのは、地域に根付いた小規模の事業所です。しかしながら、事業規模が小さいと経営基盤が弱く、人材の確保や制度改変に対応する力が不足しがちです。地域において安定したサービス提供をするには、互いに信頼できる事業所が協力して人材確保・活用をしたり、サービスの質向上のための情報交換をする必要があります。具体的には、事業者間の連携の目的は以下のことにあります。

@地域の人材の活用
 訪問介護員や介護支援専門員などの介護職は不足傾向が続いており、仕事があっても受けられない状態が発生しています。これまでは、事業所ごとに人材集めをしてきましたが、今後は訪問介護員の複数事業所登録や、協同募集などにより働く意欲のある人材に希望する仕事量を提供できる仕組みを作る必要があります。そのことにより、地域の人材を有効に活用することができます。

A制度改変への対応
 平成18年度の介護保険法改正により情報公表制度が発足しましたが、この制度ではあまり必要とは思われないマニュアルや規程の整備が必要です。小規模な事業所がこのような制度改変に対応するためには、マニュアルや規程類を協同で開発する必要があります。事業所が連携することにより、無駄な労力を削減することができます。

B研修の共同実施
 小規模の事業所では研修の企画から実施まで複数の事業所が協同して行うのが効率的です。サービスの質向上に欠かせない研修を充実させることができます。

C特定事業所集中減算への対応
 平成18年度の介護保険法改正では、居宅介護支援事業において訪問介護、福祉用具貸与及びデイサービスへの特定事業所減算制度が導入されました。同一法人がケアプランを作成する場合、10%以上のサービスを他の法人が経営する事業所に依頼することが必要になりました。信頼関係で結ばれた事業所が連携することにより、利益を損なうことなく集中減算を受けずにすみます。

D経営水準の向上
 制度は変化していくものですので、経営基盤強化には将来を見越す能力が必要です。経営者レベルでの情報収集・交換や勉強会などをつうじて経営安定化に協力して取り組むことができます。

Eリスクマネージメントの実施
 経営上のリスクを想定し、そのリスク軽減のために協同して取り組むことができます。

F情報の発信
 平成18年度の介護保険法改正により導入された制度には、不合理な面や矛盾が数多くあります。地域の小規模事業所にとって不利な内容が多いのは、制度改正に小規模事業所の声が全く反映されていないことも原因です。事業所が共同歩調で歩むことによって様々な情報を社会に発信するだけでなく、制度の改正に対しても発言できるようになります。

G足を引っ張らないで手を引っ張る
 より良い介護サービスを行うには競争も必要ですが、足の引っ張り合いにならないようにする必要があります。より良いサービスを提供している事業所が遅れている事業所のサービスの質向上に手を貸す、手をとって上へ引っ張っり上げる関係をもちたいものです。

H制度は私たちのもの
 介護保険法や障害者自立支援法によって規定された制度は、国民の福祉を向上するためのものです。始まってまだ間のないこれらの制度をより良いものにすることは、介護サービス事業を志した事業者の義務です。将来、事業所の経営者や職員も含め、国民全体の利益につながることです。

I介護サービス事業者の社会的地位向上
 低い介護報酬を制度的に改めないと人材不足は解消しないと思われます。報酬を上げるためには、介護サービスの質向上に努めることで社会的な信頼を勝ち取ることが必要です。 仕事に相応しい報酬と社会的地位向上のためには、事業所が協力して地道な努力を重ねていく必要があります。


◆当面の目標

 世田谷区介護サービスネットワークでは、平成18年10月に在宅経営部会を設立します。小規模事業所が協力して在宅介護事業の経営基盤の強化に取り組む活動が始まります。世田谷区内の事業所の経営者等が多く集まることを期待しています。


◆将来の目標

 ネットワークが拡大して、志を同じうする全国の小規模事業所と在宅介護事業の質向上と社会的地位向上を実現したいと考えています。